| 明治44年6月の尋常小学唱歌(二)に次の様な文部省唱歌があります。
二宮金次郎
一、芝刈り縄なひ草鞋(わらじ)をつくり、
親の手を助(す)け弟(おとと)をせわし、
兄弟仲よく孝行つくす、
手本は二宮金次郎。
二、骨身を惜(をし)まず仕事をはげみ、
夜なべ済まして手習読書、
せはしい中にもたゆまず学ぶ、
手本は二宮金次郎。
三、家業大事に費(つひえ)をはぶき、
少しの物をも粗末にせずに、
遂には身を立て人をもすくふ、
手本は二宮金次郎。
二宮金次郎は天明七年(1787年)小田原市の裕福な農家に生れて安政三年
(1856年)に栃木県今市で70歳で亡くなりました。生れた頃は裕福だったのですが、川が氾濫して田畑を失い、金次郎14歳で父を16歳で母を亡くしました。叔父に預けられるのですが、ある夜、明かりをともして本を読んでいると「誰のおかげで飯を食っているのだ、油がもったいない」と怒られました。
金次郎は空き地に菜種を植え、出来た菜種と油を交換して本を読むのですが、また叱られます。「お前の時間は俺の時間だ。百姓に学問はいらない。」というのです。そこで始まったのが柴を背負い歩きながら本を読む姿なのです。
やがて金次郎は叔父の家から独立し、実家の再興に着手します。勤勉と倹約に努め、24歳で以前のような裕福な家に再興するのです。それを知った小田原藩士服部家の財政立て直しを頼まれ、成功します。評判が広まり小田原藩の分家に当る桜町領の再興を頼まれ、生涯で615の村々を立て直したといわれています。桜町領を再興するときに、武士の位を授けられ二宮尊徳となります。
これは身分差別の象徴という人もいるらしいですが、こういう時代に生きていて、一生を通じてどんな実績を残し、どんなものの見方をしたか、そして何を人々伝えたかの方が大事だと思うのです。彼が財政を再興した「積小為大」や「五常講」については、また次の機会にご紹介します。
SG会理事 石本 泰規
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